2005年08月31日

浅見光彦シリーズ

内田康夫の浅見光彦シリーズは愛読書のひとつである。これまで100冊以上読んだ。暇つぶしのために通勤電車の中で読む。数十冊くらい読んだ頃から、駅の売店に並んだ新刊の文庫を買って電車の中で読み始めて、「あれ?これ前に読んだな!?」なんて気づくことが何回かあった。それから蔵書リストをつくりはじめた。いまは書名一覧だけで、時間を見つけて文庫の書評、読後の感想などを書こうと少しはじめたが根気が続かない。

今日偶然に「浅見光彦シリーズが好評の内田康夫作品の紹介と感想」がメインのページを見つけた。感想だけでなく、全作品について「ミステリ考察」、「ヒロインたち」、「謎の言葉」などじつに幅広く丁寧に書かれている。このページの作者には脱帽せざるを得ない。

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2005年08月25日

産業進化4つの法則

戦略策定・中長期計画を担当している企画部門の人にお奨めの一冊です。戦略論の世界的権威マイケル・ポーターのもとで研究を重ねてきたアニタ・M・マクガーハン(ボストン大学経営大学院教授)が、世界の企業700以上を調査した結果を「産業進化の法則」としてまとめた本です。

産業は4つのパターン、漸進型、創造型、関係型、激震型に分類でき、これ以外の進化過程をたどる産業は1つとしてない。また、この進化パターンにそぐわない戦略を策定・実行した企業は、必ずその後業績が悪化することがわかった。

自分の産業がどの型に属するのか、その型に合った戦略はどう立案すればよいかを見極める方法を詳述した経営戦略論である。

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2005年08月16日

太陽を食べる男ーNASAが研究

NASA To Study Man Who Survives On Liquids And Sunlight

太陽と水を食べて生きる男 Hira Ratan Manek (65)

NASAが太陽を宇宙食に利用する研究をはじめる契機となった人で、411日間の断食に成功している。こうしたことを彼の名前に因んで「HRM現象」というそうである。

太陽を見つめ太陽を浴びる健康法が彼のサイトで紹介されている。

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太陽と水だけで生きる科学者

Ananova - Scientist 'lives on sunlight'

 ドイツの癌研究者Dr Michael Wernerは太陽からエネルギーを取っているという。フルーツジュースが少し入った水を飲むだけで、それ以外は何も食べずに、この4年間を生きてきたといっている。 彼が自分の体験を書いた本の中で、「もともと体重を抑えるためにはじめた実験であった。どうして太陽と水だけで生きていられるのかを科学的に説明できない。」といっている。

 同じような話をTV番組で聞いたことがある。アメリカのある高校生は物心ついたときから「ジャムサンドウイッチ」しか食べないで生きてきた…。そして、これよりもっと驚きべき話として紹介していたのが、旧ソ連(ウクライナかウズベキスタンと思うが)の60過ぎの女性が、水も飲まずに太陽を浴びるだけで10年も生きてきたという。彼女は10年前に最愛の息子を交通事故で失いその数ヶ月に夫も亡くした。相次ぐ不幸に絶望し何も食べず何も飲まずに床に伏せる毎日が続いた。そのまま死んでしまいたいと思ったが死に切れず、何ヶ月もの断食のあとも体力を維持していることに気づいたという。

 現在60過ぎの体は、検査の結果40代の人と同じだという。なぜ飲まず食わずで生きられるのか?彼女を検査した医者は、大気に含まれている水分を皮膚からとり、栄養は体内でできた老廃物を未知の細菌が分解して作っているのでは、といった仮説を説明をしていたがやはり科学的には説明できないとのことであった。

 こうした話に関心を抱き調べてみると、ロシアのプラウダPravda誌にAutotrophs: new kind of humans appears who neither drink nor eatという記事があった。何も食べず何も飲まない人々…が存在する。こうした人たちをAutotrophsと呼ぶらしい。辞書で調べると、ギリシャ語で、autos = "self" and trophos = "feeder"の意味。 これに対する言葉が"heterotrophs"である。日本語では「自律栄養生物」「他律栄養生物」とでもいうかな? Autotrophsは、光合成を行う多くの植物のように自分自身で栄養をつくりだし、それを自らの生命の糧とすることが出来る生物である。本来Heterotrophsである人間に植物のような生き方ができるのか?記事によると、不食という考え方は昔からあり、たとえばロシアの哲学者Vernadsky(ベルナツキー)は、人間の不食の可能性について考え、人間は宇宙から得られるエネルギーで生きることが出来ると確信していたそうである。そして今日では、現実にそうした人々が何人も存在すると言う。

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2005年08月11日

トリニティ核実験から2000回


[写真はNHKスペシャル番組からキャプチャーして編集したものです]

人類が始めてみた核の姿…天を突いて立ち上る雲は、原爆製造の中心を担ったオッペンハイマー博士を恐怖させた。記者会見で目に涙を浮かべてつぎのように語った。

笑う者も泣く者もほとんどなく 皆 押し黙っていました。 今までの世界は 別のものになりました。 『バガヴァッド・ギーター』の一節が浮かびました。

『汝のすべきことだけせよ』
と神は王子に語り……
無数の手をもつ怪物に変身し警告するのです
『今、私は死神となる。破滅を導く者になるぞ』

ヒンドュー教の神・クリシュナの言葉

「千の太陽が一時に 天空にきらめき出ることあれば…
 そは かの荘厳な者の光輝に似ん
 私は世界を滅亡させる「時間」となり
 今破滅に向かって活動を開始した」

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2005年08月09日

赤い背中~原爆を背負い続けた60年~

 今夜のNHK特集「赤い背中」~原爆を背負い続けた60年~を見た。戦後はまだ終わっていないのだと実感し、自分の無知を恥じる思いをした。そして、多くの被爆者がなくなっていく時代、戦争を知らない平和な時代に生きたすべての日本人が原爆の恐怖や悲惨さを記憶にとどめ後世に伝えていく責務があるのだと思い知らされた。

[下記写真は米軍戦略爆撃調査団が長崎で撮影したフィルムから作成。戦後25年経って公開された]
 わたしは、日本と日本人の被爆体験に、これまで無関心であった。「日本人は歴史を知らない」とアメリカの友人たちに言われたことを何度か引用しているが、これからも自戒の言葉であり続ける。遠い昔、中学生のときに修学旅行で広島に立ち寄り、原爆ドームと記念公園を見学した記憶がある。しかし、それは原爆の怖ろしさを学ぶためでも被爆者たちが体験した地獄の実態を知るためでもなかった。おそらく引率の先生たちも被爆の実態をよく知らなかったのではないかと思う。広島・長崎の被爆者とその家族・友人・知人たちを除けば、ほとんどの日本人が被爆の恐ろしさと苦しみや悲しみを実感できなかっただろうし、またそのための知識も十分に与えられていなかったのだと思う。

 アメリカ政府・軍は、原爆が人体に与える影響をつぶさに調査したが、その記録を25年間も極秘扱いをして、自国民にも世界にも公開しなかった。その中の一枚が左の写真で、TV画面をキャプチャーしたものである。真っ赤に焼け爛れた背中。生と死のはざまで激痛に耐えていた谷口少年の写真である。その谷口さんを中心に展開したドキュメンタリである。谷口さんは、他の多くの被爆者と同様に長い間口を閉ざしてきた。自分が体験した地獄を思い出す苦痛に耐えられないからだと思う。戦争の悲惨さを見た人々が抱く共通の思いであろう。

 その谷口さんは、40歳を過ぎた頃からみずからの被爆体験を積極的に語るようになったという。そのきっかけは、昭和45年、一枚の写真を手に入れたことである。「赤い背中」の写真である。当時、この写真が発表されると大きな反響を呼び、同情をよせる多くの手紙が届いた。しかし、それを読んで谷口さんは、写真だけでは、原爆の真の悲劇はけっして伝わらないことを実感したと語る。谷口さんの語る口調とその内容は何者も反論できない真実の重みがある。

「わたしは見世物じゃない。わたしの体を見てしまったら、誰がこうしたのか、誰のためにこうなったのかと、みんなに知ってもらいたい。そうしないと、私の体を見た価値がない。ただかわいそうだったとか、苦しかった、痛かったでしょうとか、そういうことじゃない。」

「ベッドの上が毎日食堂になり、また便所になりました・・・。人間の腐るにおい、焼けた肉のにおい、生きながらにして蛆が湧いて腐った肉に食い入る痛み、わたしは幾度となく「殺してくれ!」と叫び続けました。わたしが「命をとり止める」と思っている人は一人もいませんでした。」

「原爆を作った人間、それを作らせた人間、それを使わせた人間、また使って喜んだ人間・・・。これは人間じゃない。絶対許せない。」

「長生きしてくださいといわれるが、長生きするほど苦しみは長くなる。」

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2005年08月07日

死んだ人たちの嘆きのためにだけ生きよ。

 原 民喜は、原爆にあたることの凄まじさを文章に刻み続けた。

「自分のために生きるな、死んだ人たちの嘆きのためにだけ生きよ。
僕を生かしておいてくれるのはお前たちの嘆きだ。
僕を歩かせてゆくのも死んだ人たちの嘆きだ。」 (「鎮魂歌」より)

「…世界は割れていた。僕は探していた。何かをいつも探していたのだ。廃墟(はいきょ)の上にはぞろぞろと人間が毎日歩き廻った。人間はぞろぞろと歩き廻って何かを探していたのだろうか。新しく截(き)りとられた宇宙の傷口のように、廃墟はギラギラ光っていた。巨(おお)きな虚無の痙攣(けいれん)は停止したまま空間に残っていた。崩壊した物質の堆積(たいせき)の下や、割れたコンクリートの窪(くぼ)みには死の異臭が罩(こも)っていた。真昼は底ぬけに明るくて悲しかった。白い大きな雲がキラキラと光って漾(ただよ)った。朝は静けさゆえに恐しくて悲しかった。その廃墟を遠くからとりまく山脈や島山がぼんやりと目ざめていた。夕方は迫ってくるもののために佗(わび)しく底冷えていた。夜は茫々として苦悩する夢魔の姿だった。人肉を啖(くら)いはじめた犬や、新しい狂人や、疵だらけの人間たちが夢魔に似て彷徨(ほうこう)していた。すべてが新しい夢魔に似た現象なのだろうか。廃墟の上には毎日人間がぞろぞろと歩き廻った。人間が歩き廻ることによって、そこは少しずつ人間の足あとと祈りが印されて行くのだろうか。」 (「鎮魂歌」より)

「遠き日の石に刻み 砂は影おち 崩れ墜つ 天地のまなか 一輪の花の幻」

「ふと僕はねむれない寝床で、地球を想像する。夜の冷たさはぞくぞくと僕の寝床に侵入してくる。僕の身躰、僕の存在、僕の核心、どうして僕はこんなに冷えきつているのか。僕は僕を生存させてゐる地球に呼びかけてみる。すると地球の姿がぼんやりと僕のなかに浮かぶ。哀れな地球、冷えきつた大地よ。だが、それは僕のまだ知らない何億万年後の地球らしい。

 僕の眼の前には再び仄暗い一塊りの別の地球が浮んでくる。その円球の内側の中核には真赤な火の塊りがとろとろと渦巻いてゐる。あの鎔鉱炉のなかには何が存在するのだらうか。まだ発見されない物質、まだ発想されたことのない神秘、そんなものが混つてゐるのかもしれない。そして、それらが一斉に地表に噴きだすとき、この世は一たいどうなるのだらうか。人々はみな地下の宝庫を夢みてゐるのだらう、破滅か、救済か、何とも知れない未来にむかつて……。

 だが、人々の一人一人の心の底に静かな泉が鳴りひびいて、人間の存在の一つ一つが何ものによつても粉砕されない時が、そんな調和がいつかは地上に訪れてくるのを、僕は随分昔から夢みてゐたやうな気がする。」 (「心願の国」より)

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女性が世界を支配したら?

If Women Ruled The World #1
もし、女性が世界を支配したらどうなるか?
…ということを風刺した写真を見つけた!わが身に覚えのある人も多いのではないか?思わず苦笑するのは男性たちだけであろうか?

①Bathroomsへの行き先案内 ②大工道具の替わりに靴とナイフ ③トイレは座ってするもの

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2005年08月06日

ソクラテスの対話法(dialogue)

疑問を発すること!的を得た質問をすること!
Ask questions. Ask right questions.

 ソクラテスは発見するためには使っていない。ソクラテスは「無知の知」といって、偉そうにしていて何かを分かっているようなつもりでも、じつは人間は何も分かっていないということを弟子や一般市民たちに知らしめるために「対話法」を使った。質問をして行くうちにそれに答える人間は自分が何も分かっていないことを思い知らされる。

この対話法が自然の法則を発見するために非常に有効であることは後世になって気が付いた。ガリレオは子供たちのために『天文対話』(岩波文庫)という本を書いて、その中で対話法を駆使している。

人間は未知の領域に入り込むと自分の置かれている状況や方向性を見失いやすいようにできている。それを見失わないようにするための道しるべとなる質問が重要になる。問題は、正しい順序で質問を繰り出せるかどうかである。そのための訓練と経験が必要となる。

アメリカの中高生の授業では、先生と生徒が一体になって質問し合って討論するのが基本である。使っている本で有名なのが、George Polyaの『How to solve it』という本で、対話法を数学の問題の解き方に応用している。ポリアという数学者(1887~1985)が学生のときに家庭教師で生徒に説明していたときに、問題の解き方を見失ったことがあって、恥ずかしく悔しい思いをした。それ以来、分からない何かを見つけ出すにはどうすればいいかと必死に考えて、この対話法にいきついた。数学の解法に焦点を当てているが、人生の問題一般に通じるものがある。20世紀後半のアメリカの優秀な人たちは、中学・高校時代にこれを参考書にして数学を勉強した。アメリカ人の精神の強さの出発点かもしれない。

第1段階( 問題を理解する)

  1. 求めているものは何か?未知のものは何か?
  2. データはあるか?前提条件はなにか?
  3. その条件を満たすことができるか?
  4. それは求めているものを決定付けるのに十分なものか?
  5. 不十分か?冗長か?矛盾するか?
  6. 図解せよ!適切な表記法を用いよ!
  7. 条件を分解し、個別に検討する。書きとめよ!

第2段階(すぐには与えられていることと求めるものが結びつかないとき)
  1. まず求めるモノに注目!
  2. それでもダメなときは求めるものに関連している問題を考える。過去に見聞きしていないか?すこし違ったものはないか?関連した問題を知らないか?使えそうな理論はないか?過去の結果や手法を適用できないか?
  3. それでもダメなときは問題を別な観点から眺めてみる!求めるものを言い換えられない?与えられているものを言い換えられない?
  4. それでもダメなときは、何か見落としがないか?何か忘れていることがないか?(以下省略)

第3段階 Carry out your plan.
  1. 解を導き出す計画をする。解にいたる各ステップの妥当性を調べる。
  2. 各ステップが正しいことを確認できるか?
  3. 正しいことを証明できるか?

第4段階 Examine the solution obtained.
  1. 結論を検証できるか?反論に答えられるか?
  2. 異なる視点から解を導き出せるか?全体が見渡せるか?
  3. 解の結果や手法をほかの問題解決に使えるか?

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アリストテレスの論理学 LOGIC
ほかの可能性は?あらゆる可能性を考えてひとつひとつ検討していく。
経験に基づき、演繹的に理解していく。(つづく)

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2005年08月03日

Actionの意味を問う

「PDCAを回す」と人は言う。計画(Plan)をして実行(Do)する。その結果をチェック(Check)してアクション(Action)を起こす……。当たり前のことを英語の頭文字で表現しているだけである。いまさら議論など無用…と思う人が多いかもしれない。しかし、日本人はこのPDCAの意味をどう理解しているのだろうか?「アクション」とは何なのか?「計画」とは何なのか?素朴な疑問を抱くようになった。発端は、経営の一端を担う幹部社員たちの「アクション項目を決めて実行しよう」という声とその後の結果にあった。経営品質向上を目指したかけ声、意気込みは大切なことであり、それがリーダーシップの現われでもある。

しかし、半年たってもアクションがなく何も始まらない。会議の前に思い出したように「やらなくては…」と、義務感とあせりを感じる幹部は良いほうである。提案されたアクション項目というのはたくさんある。しかし、いつまでに誰がなにをなぜやるのか?やるとどんな効果が期待できるのかが見えない。はっきりと見えなくても良い。所詮、仮説でありこれを検証して改善していくプロセスが大事なのである。この新しいプロセスが実行できないのはどういうことなのか?また全体最適化に向けた合意形成のための対話が少ない。この「対話」がないということは「改善」がない、「進歩」がないということでもある。

なぜ前に進まないのかを考えていて思い至ったのが「アクション」とは何かについての共通理解がないのではないか?ということである。アクションの企画ができないのではないか?PDCAと口では言うがその実態(プロセス)の共通認識がないのではないか?という疑問がわいてきた。幹部社員を対象としたある研修で、受講者に問う…「PDCAでいうActionとはなんですか?」すると多くの人が「行動すること」「実行すること」だと答える。答えが間違っているわけではないが、「それではPDCAのDoはなんですか?」とさらに問うと、「…すること?実行すること?」と怪訝な顔をする。日本語でアクションとドゥの区別を理解することは難しいと思う。言葉は文化の器であり、文化は思考プロセスの違いから生まれる。

PDCAはプロセスのことであり、もともと欧米人の思考プロセスからその概念が生じている。それを日本人が取り入れたのであるから、欧米人と異なる発想や思考プロセスでは理解の仕方に違いが出るのは当然である。日本語世界では表現できないから、表記も発音も英語のまま使っていると考えたほうが良い。

あえて日本語で説明すると、プランすなわち計画をつくり、これを実行(学者の経営用語で言えば実施・統制かな?)する。その結果をレビュー(評価、比較検討、精査)して、当初計画すなわち仮説が正しかった(検証できた)か?もっと良いやり方(あらたな計画・プロセス)がないかを多面的に深く考える。これがCheckである。そして新たな改善策と目標を決めて(Plan)これを達成する意思をもって取り組むことがActionである。Actionすなわち改善のプロセスと理解しても良い。

思うに、日常で使うアクションとPDCAのActionが混同されているのではないか。「アクション」は「動作、行動。俳優の演技」である。PDCAでは、「PLAN」がなければ「ACTION」もない。「PLANを作ればあとは実行のみ。最初のPLANは変わらない。」と思っている人が多いのではないか。ある経営者が「PDはあってもCAがない!」といっているのには理がある。PDCAPD…である。もうひとつ思うのは、PLANの意味である。課題を解決するための基本的考え方と運営方法を決め、目標の設定と達成状況の把握、測定方法、そして改善方法(これも仮説)を決める(考え出す!)ことの意味が共通理解されていない…ということである。「何を書けばいいのか?」という質問が多い。難しく考えすぎている人が多いと思う。もちろん研修や訓練も必要である。

こうした説明は、わたしが米国での経営実務の経験から学び解釈していることである。経営の教科書にどう書いているのか、学者先生はどういっているのかは知らない。あとで調べてみる必要がある。

ちなみにWikipediaでは、Action is effective willと定義している。哲学的には、アクションは効果を発揮する意思のことである。また、社会学的には、多くの人を動機付け対応を促す意味のある行動のことである。とくに対人関係の変化をもたらす行動・言動を言う。

one that not only has a meaning but is directed at other humans and induces a responce.
こうした哲学的・社会学的説明は、わたしには素直に聞こえる。さて、皆さんの解釈はどうなんでしょうか?

最後にHemingwayヘミングウェイの指摘を紹介しておく。

Never confuse movement with action
鋭い指摘である。日本語にすると、「動くこと(Movement)」と「アクション」を混同してはいけない…ということ。欧米人でもActionを誤解することがあるという戒めである。ましてや日本人には共通の理解が難しいことだといえる。

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2005年08月02日

モルドバの壁画誕生の謎

ルーマニア北部のモルドバ地方にある教会の数々。現在7つが世界遺産に登録されている。その中でも最も美しい教会が北部のモルドバピツァ村にある。高さ8メートル、幅25メートルの壁一杯に絵が描かれている。聖書に登場する聖人や予言者の絵で埋め尽くされている。教会の中も壁一杯に絵が描かれている。450年前に描かれた壁画である。いまも鮮やかな色彩を維持している秘密は何か?教会の中も外もなぜこれほどまでに絵が描かれたのだろうか?なぜモルドバ地方にはこうした教会がいくつもあるのだろうか?

それらの多くは15-16世紀に描かれた。当時はまだルーマニアという国はなく、周囲を大国に囲まれた小さなモルドバ公国があった。壁画が描かれた15世紀はイスラム世界のオスマントルコとの戦いの中にあった。過酷な時代を生き抜くために、キリストの受難を自らの運命に重ね合わせて、心の支えとして描かれた。

フレスコFrescoとは、イタリア語で「新鮮」と言う意味で、漆喰が乾かないうちに絵を描く手法。世界からモルドビアンブルーと賞賛された青色は450年以上も色落ちせずに残っている。

アゼライトは銅を含んでいるため化学変化を起こしやすい。なのになぜ色あせないのか?その秘密は漆喰とアゼライトの間の木炭にある。これにより光を遮断し、漆喰には接着しやすいように麻のくずとチーズを混ぜる技法が、長い風雪に耐えて美しい青を保持しているのである。

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The Five Principles of Water 水五則

Moving of itself, water moves other things. Seeking always to move on its own path, water does not stop. Being pure itself, water cleanses filth of other things. Flowing over obstacles as they are encountered, water increases its power a hundredfold. Filling the great and boundless oceans, evaporating to moisture, becoming rain or changing into snow, and freezing to become a sparkling mirror, water still does not lose its basic nature.

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般若波羅蜜多心経

昔読んだ本の中に「般若心経入門」がある。田舎生まれ育ちの私が大都会での生活に慣れず、鬱屈した日々から逃れるように山登りをしていた頃に買った記憶がある。子供時代に法要のたびに意味も分からないままにお坊さんや周りの人の声にあわせて唱えた「…色即是空。空即是色…」という有名なお経である。正しくは「般若波羅蜜多心経」というそうである。恥ずかしながら今もその内容の意味するところをよく知らない。

Amazonで調べたら、「般若心経入門―276文字が語る人生の知恵」、祥伝社黄金文庫、 松原 泰道 (著) という本があった。まさしくこの本である。20代の頃に買ったが正直いって内容がよくわからずに投げ出した。「松原 泰道」という著者の名前も知らなかったが、20世紀日本の碩学、生きる知恵を語る第一人者だということである。「諸行無常」、「生者必滅」、「因縁生起」、「諸法無我」…など仏教のこころを語る。

子供時代に祖父母に教わった「足るを知る」、アメリカで座右の銘のひとつであった「水五則」も、松原さんが禅から学ぶ人間の生き方として説いている。なんと私は無知であったのかと大いに反省している。この四半世紀のあいだ、「足るを知る」は森鴎外の「高瀬舟」のテーマである…と知ったかぶりで話してきた。「水五則」は、信州の山寺にある掛け軸に書いてある言葉だと、20年以上昔に見たTVドキュメンタリで知った記憶がある。それ以来の思い込みである。「知っている、分かっている、やっている」というのは傲慢さの証である…などと研修で話しているのが恥ずかしくなった。もっと謙虚にならなくてはとわが身を戒める。

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